スリランカブログ

[アヌラーダプラ]スリランカ最古の都で今も続く仏教生活に触れる旅[文化三角地帯]

こんにちは。ご訪問ありがとうございます。新型コロナウイルスのワクチン接種がすすめられています。今年中には海外旅行ができるようになると良いものです。

今回の記事では、文化三角地帯の北端、アヌラーダプラのご紹介を紹介します。1982年に「聖地アヌラーダプラ」として、古都ポロンナルワ、古都シーギリヤと同時にスリランカで初の世界遺産に登録されています。キーワードはずばり「仏教」です。

アヌラーダプラの位置・アクセス

アヌラーダプラの位置(Google map)

スリランカ北部と中央部の間です。アヌラーダプラ・ポロンナルワ・キャンディの3つを「文化三角地帯」culturual triangleと呼びますが、その北西端です。
コロンボから車で約5時間。私が行った際は、バンダラナイケ国際空港からアヌラーダプラに直行しましたが、4時間はかかったと記憶しています。ポロンナルワ・キャンディからは車で共に3時間程度です。他の世界遺産に比べ、やや移動時間はかかるのですが、スリランカの中でも都として飛びぬけて長い歴史を誇り、質的にも量的にも極めて潤沢な遺跡が残されています。

アヌラーダプラの歴史

アヌラーダプラの歴史はスリランカの始まりの歴史と言っても過言ではありません。最も古い王国、アヌラーダプラ王国の都として発展しました(アヌラーダプラ時代以前も王国が存在したと言われていますが、伝説の域を出ていません)。
アヌラーダプラ王国は紀元前4世紀から11世紀まで、1,400年という長期間存在した王国で、5世紀のカーシャパ王の治世においてシーギリヤに遷都した11年間を除き、一貫してアヌラーダプラに都が置かれました。

なお、シーギリヤに都が置かれた際、王宮が建てられた場所がまさしくシーギリヤ・ロックです。この時代の歴史に関してはこちらの記事をご覧ください。

スリランカの仏教伝来は紀元前247年と言われており、アヌラーダプラ王国の歴代の王は仏教を信仰し、これに基づいた統治が行われました。日本でいうと飛鳥~奈良王朝がイメージに近いと思います。

ブッダは諍いを収めるため、スリランカを3度訪れたとされています。その足跡全16カ所はソロスマスターナヤ Solosmasthana と呼ばれ、仏教の聖地になっています。アヌラーダプラが特別なのは、その3度目、14か所訪れたうち、7カ所がアヌラーダプラに集中しているということです。
なお、1度目はマヒヤンガナ、2度目がナーガディーパ。3度目がケラニヤです。

今はキャンディにある仏歯がスリランカに渡ったのも3世紀、アヌラーダプラ王国の時代です。仏歯は王権を象徴するものとしてアヌラーダプラに保管され、王国滅亡後も王朝の移動と共に点々とすることになります。

アヌラーダプラ王国の歴史は、インドからの侵略とその攻防の歴史でもあります。紀元前から何度か侵略と回復を繰り返し、ついに11世紀、アヌラーダプラは南インドのチョーラ朝に滅ぼされ、南東のポロンナルワに都を移すことになり、王国は終焉を迎えます。

今も多くの遺跡が残され、スリランカの人々にとっても重要な仏教の巡礼地になっています。

いざ、アヌラーダプラ観光に出発!

簡単に歴史を知った上で、アヌラーダプラの名所を写真で追ってみましょう。
※以下の写真は、2018年9月時点のものです。

ウッドアップルジュース

おっと、これはアヌラーダプラ到着前に飲んだウッドアップルジュース。とろりとしたジュースは栄養満点で、お腹にたまります。これはスリランカに行かないと飲めないので、ぜひお試しを。

ルワンウェリ・サーヤ大塔 Ruwanweli seya dagoba

白亜の仏舎利、ルワンウェリ・サーヤ

アヌラーダプラには大きなダーガバ(パゴダ、仏舎利)が3つあります。まずは一番古い ルワンウェリ・サーヤから。
紀元前2世紀に建てられたもので、スリランカ観光局のページによると、高さ103m、周囲は290mにもなります。建設当初は55mでしたが、その後の王たちによって改修が繰り返されました。なお、ギザの大ピラミッドの高さは138m(建設時は146m)です。

当時のドトゥギャムヌ Dutugemunu王によって建設が開始されたものの、完成を見ることなく亡くなり、息子の治世に完成をみます。19世紀には荒れ果てた遺跡となっていて、20世紀初頭に財団が形成され、最後の大規模修復は1940年頃に行われました。

白い服を着てお参りする人たち
後ろの男性が履いているロングスカートのようなものは伝統衣装のサロン

ダーガバの大きさに圧倒されましたが、同じくらい驚いたのが、お参りする人の多さです。撮影日は金曜日でしたが、駐車場は外国人の観光客よりも、白い服を着てお参りするスリランカの方々でいっぱいでした。地元の方はもちろん、スリランカのあちこちから巡礼旅行で来ているようです。
スリランカではお寺にお参りする際は、正式には白い服を着ます。サロンやルンギといった、伝統的な衣装を身にまとう方も多いです。観光客としては、敬意を示すために、白いTシャツでも着ていくのがベストでしょう。(ちなみに、それすら理解していなかった当時の私は、濃い紫のTシャツとジーパンでした・・)
また、お寺は土足厳禁で、裸足(靴下はOK)です。

ルワンウェリ・サーヤの入り口付近

また、「お寺」での過ごし方にも驚くことでしょう。日本のようにお賽銭を投げ入れて手を合わせて祈って終わり、ではありません。お参りのしかたは人によって実に様々です。膝を折りダゴバに頭をつけて一心不乱に祈る人、車座になってお坊さんのお話に耳を傾ける人々、何をするでもなく、しゃがんで夕暮れを待つ人 (もしかするとそれがお祈りなのかもしれないですが)・・全体的に滞在時間は長めです。アッサリ帰る人ももちろんいますが。

ジェータワナ・ラーマヤ Jetavanaramaya

使われているレンガの数は9,000万個とも、6,200万個とも

2つ目はジェータワナ・ラーマヤ。3世紀に建造されたもので、建設当時の高さは122m、現在は71m。建設当時は世界で最も高い建物の一つでした(参考:wikipedeia List of tallest structures built before the 20th century )。
3世紀に、大乗仏教を信仰するマハーセーナ Mahasena 王によって建立されました。現在、スリランカは伝統的な上座部仏教(テラワダ)を実践している国として有名ですが、意外にも3世紀~12世紀はスリランカでは大乗仏教が主流でした(参照:にしゃんた著『ブッダと歩く神秘の国 スリランカ』)。3世紀頃、スリランカでは上座部仏教と大乗仏教の対立があり、それを象徴するような建造物がジェータワナ・ラーマヤです(参考:Miracle island )。
20世紀初頭にはジャングルに覆われるほど荒廃し、修復作業が行われて現在に至ります。ルワンウェリ・サーヤと同様に赤レンガ造りですが、こちらはむき出しになっています。
なお、Jetavanaは祇園精舎という意味です。

お参りは時計回りにぐるぐる歩く。
真ん中の白い点は、お坊さんのお話を聞いている巡礼の人々

クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ) Kuttam pokuna / Twin ponds

大きな仏教遺跡を2つ見たところで、小休止。
クッタム・ポクナは、6世紀、Aggabohdhi王によって造られた2つのプールで、僧たちの沐浴場として使われたと考えられています。幅は共に15m、長さは大きい方が40m、小さい方は27m。深さは大きい方が5m、小さい方が4mですが、ご覧の通り水位は低いです。
スリランカは中央高地を除くと大部分が乾燥地帯で、灌漑技術が古くから発達しました。王様が技術と資源を費やしてお坊さんのためにこのような施設を作ったところに、信仰の厚さを感じます。

アバヤギリ大塔 Abhayagiri dagoba

3塔の最後、アバヤギリです。少し外れた場所にあるためか、ルワンウェリ・サーヤとジェータワナ・ラーマヤに比べ、ひっそりしていました。こちらもレンガがむき出しです。

紀元前1世紀に、ワラガンバー Valagamba 王(別名ワッタガーマニ・アバヤ Wattagamani Abhaya 王)の命によって建てられました。高さは建設当時は103m、現在は71mです。アバヤギリは大乗仏教の総本山として栄え、ダーガバを中心にアバヤギリ寺院 Abhayagiri Vihara として壮大な敷地を持っていました。
仏教の研究施設や一宗派としても発展し、世界各地から留学生を迎え入れ、5世紀にこの地を訪れた中国僧・法顕によると、アバヤギリには5,000人の僧侶が暮らし、ダーガバの高さは122mあったという記録が残っています。スリランカに仏歯が持ち込まれたとき、王宮に保管され、アバヤギリでペラヘラが行われたそうです。

当時は修復中(2018年9月)

しかしながら、12世紀にはアヌラーダプラの崩壊、さらにスリランカ仏教が上座部仏教に統一されたことの影響で、アバヤギリも荒廃します。
800年の時を経て、19世紀に「再発見」され、修復が施されました。近年、2000年頃から2015年にかけて大規模改修が行われ、ネットで探すと少し前の写真では、お椀型のダーガバをこんもり樹木が覆っている様子が見られます(これはこれで面白い)。まるで古墳のようでした。

ポロンナルワへの遷都からほどなくして、スリランカ仏教は上座部仏教に統一され、大乗仏教は遺跡に残るだけになりました。
参考:SriLanka View ※英語、3塔の比較表あり

なお、スリランカ仏教を統一したパラクラマバーフ 1世 Parakramabahu Ⅰは「大王」と呼ばれ、スリランカの歴史の中でも偉大な王です。パラクラマバーフ 1世は、仏教だけではなく、3つの小王国に分かれていたスリランカを統一しました。ポロンナルワに今も遺る王宮を建設し、水不足解消のために灌漑システムにも力を入れました。「雨として降ってくるわずかな水でさえ、人間の役に立つことなく海に流れてはならない」というのは彼の有名なセリフだそうです(wikipedeia)。日本の小田信長とでも言いましょうか。

仏旗が並ぶ。仏旗は19世紀後半に、スリランカ(当時はセイロン)にてデザインされたもの。

サマーディ仏像 Samadhi buddha statue

菩提樹に囲まれてたたずむ座像

アバヤギリからほど近くに、サマーディ仏像があります。私がアヌラーダプラを訪れたときは、ダゴバに圧倒され、日本で見ていた仏教建築は何だったのかしらと思うくらいカルチャーショックを受けていたのですが、この仏像を見たときに安心したことを覚えています。

クイーンズ・パビリオン(ムーンストーン) Queen’s pavilion / Moonstone site

仏像の高さは2.2メートル。4〜6世紀に作られた石仏で、アヌラーダプラ王国時代の仏像の傑作のひとつと言われています。19世紀後半に発見されました。当初は目に宝石がはめ込まれていましたが、盗まれたようです。
写真では見えませんが、左手の上に右手が重ねられた定印 Dhyana Mudra が結ばれています。定印は、深い瞑想に入っている状態を表します。
今は屋根がつけられていますが、当初はなく、像の後ろに菩提樹が植えられ、まさしくブッダが悟りを開いた時の様子を再現していたそうです。ほぼ完全な形で残っているのはこの像だけですが、アバヤギリ寺院を囲むように4つの仏像があったと考えられ、他の像は土台など一部が見つかっています。(参考: lankapradeepa )

外側から2層目には象・馬・ライオン・牛が、その内側には白鳥が描かれている

かつての女王の宮殿といわれる場所に、美しいムーンストーン Sandakada pahana が残されています。ムーンストーンというのは石の種類ではなく、寺院の入り口に置かれ、独特の彫刻の施された半円形(形は時代によって変化)の敷石を言います。アヌラーダプラとポロンナルワのものが有名です。

外側から、人間の物欲を示す炎、人間として避けられない生老病死を示す象・馬・ライオン・牛、清らかさを示す白鳥、中心の蓮の花は煩悩を打ち消し、輪廻を断った涅槃を表しているそうです。神聖な場所に入る前に、身を清める意味が込められているそうです(参考:にしゃんた著『ブッダと歩く神秘の国 スリランカ』)。
ムーンストーンの外側で靴は脱ぎましょう。

柱と基礎だけが残されている

アヌラーダプラの歴史は、まさしく仏教の歴史でした。他にもイスルムニア精舎やスリーマハー菩提樹など、見所はいくつもあります。ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

蛇足ですが、日本競馬にはアヌラーダプラという現役の競走馬(2021年時点)がいます。母はポロンナルワ、母の母はシンハリーズ。きょうだいにはガルヴィハーラ、ディーパワンサなどと、スリランカシリーズになっています。アヌラーダプラやディーパワンサは重賞も走っています。

アヌラーダプラ観光のおすすめプラン

アヌラーダプラ観光の所要時間ですが、半日は見ておくのが良いでしょう。多くの遺跡が点在しているため、それでもガイドブックに載っているもの全てを見ることは難しいと思います。じっくり見たい方や、お参りに来ている人々とのコミュニケーションを取ってみたい方は、1日かけても良いくらいです。
早くから世界遺産に指定されているだけあり、スリランカの歴史や仏教に興味のある人にとってはとても奥深い場所です。より理解を深めたい方は、ガイドと一緒に回ると良いでしょう。

一方で、文化三角地帯の中ではコロンボから最も遠く、移動に時間がかかるため、滞在日数によっては思い切ってアヌラーダプラを外し、スリランカ中央部の観光に集中することも手かと思います(高速道路が整備されている南部に比して、北部は時間がかかります)。

アヌラーダプラ近くの観光スポット

ウィルパットゥ国立公園はアヌラーダプラからほど近い国立公園です。広大な面積を持ち、ミンネリヤやヤーラに比べて観光客も少ない隠れスポットで、より自然を堪能できます。見られる動物の種類も多いです。アクティブな方はぜひ観光ルートに組み込んでみてください。

ウィルパットゥについてはこちらの記事をご覧ください。

その他、スリランカの見どころをこちらのページにまとめています。ぜひご覧ください。

いかがでしたか?ここまで長文をお読みいただき、ありがとうございました。
ご質問やお問い合わせは受け付けていますので、何かありましたらお気軽にご連絡ください。

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